16年前のこと
今回の地震に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。
ニュースを観るたび、信じられないような映像に心が痛みます。
あの16年前のことを思い出し、
なかなか文章にすることができませんでした。
ちょうど16年前の「阪神淡路大震災」の日、私は仙台にいました。
慌てて空港まで友人に送ってもらい、
ろくにありがとうとも言わず飛行機の搭乗口に向かいました。
伊丹空港が近くなるにつれ、あちこちで起こる火災に気付き血の気がひいたのを
思い出します。
あの頃は携帯など持っていなかったので、公衆電話、タクシー乗り場にそれぞれ約2時間ずつ
並んで順番を待ち続けました。
結局、神戸方面には行けず大阪の親戚の所に身を寄せ、それでも2日後、12時間近くかけ福知山経由で
神戸に戻りました。
ライフラインもままならず、真っ暗な道なき道を明石から歩きました。
ただみんなが無事であることを祈りながら。
友達や職場の人の無事を確かめてホッとし、仙台の友人に連絡を入れたことを
昨日のことのように思い出します。
私を空港へと送ってくれたその友人たちが住む東北地方で起きた地震。
今私に何ができるのか。
私なりにできることを少しずつでもしていくこと。
いつか笑って再会できる日まで、元気に店で仕事し続けること。
その時が来たら、明るい笑顔で彼らを迎えたいから。
一日も早く穏やかな日常が戻りますように。
神戸から祈っています。
ニュースを観るたび、信じられないような映像に心が痛みます。
あの16年前のことを思い出し、
なかなか文章にすることができませんでした。
ちょうど16年前の「阪神淡路大震災」の日、私は仙台にいました。
慌てて空港まで友人に送ってもらい、
ろくにありがとうとも言わず飛行機の搭乗口に向かいました。
伊丹空港が近くなるにつれ、あちこちで起こる火災に気付き血の気がひいたのを
思い出します。
あの頃は携帯など持っていなかったので、公衆電話、タクシー乗り場にそれぞれ約2時間ずつ
並んで順番を待ち続けました。
結局、神戸方面には行けず大阪の親戚の所に身を寄せ、それでも2日後、12時間近くかけ福知山経由で
神戸に戻りました。
ライフラインもままならず、真っ暗な道なき道を明石から歩きました。
ただみんなが無事であることを祈りながら。
友達や職場の人の無事を確かめてホッとし、仙台の友人に連絡を入れたことを
昨日のことのように思い出します。
私を空港へと送ってくれたその友人たちが住む東北地方で起きた地震。
今私に何ができるのか。
私なりにできることを少しずつでもしていくこと。
いつか笑って再会できる日まで、元気に店で仕事し続けること。
その時が来たら、明るい笑顔で彼らを迎えたいから。
一日も早く穏やかな日常が戻りますように。
神戸から祈っています。
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